
ひでよし とくべつじゅんまいしゅ
秀よし 特別純米酒
[秋田県大仙市]
〜 殿さまが名づけ親 〜
佐竹藩家紋「扇に月」
「清正に勝る」と佐竹のお殿様が命名、幕末に秋田藩御用酒となった『秀よし』
秋田県知事のお名前をご存知でしょうか。佐竹敬久氏。江戸時代に秋田藩の藩主だった佐竹氏の一族です。佐竹一族は平安時代以来、常陸国(現在の茨城県)の豪族でした。常陸国の守護大名となった佐竹家には室町時代の酒造技術書「御酒之日記」が伝えられていました(現在は写本のみが東大に所蔵されています)。
関ヶ原の戦いで、旗色を明確にしなかった佐竹氏は、徳川氏から出羽国(現在の秋田県、山形県)の半分を領するように命じられました。佐竹氏が最初に移り住んだのは、現在の仙北市、大崎周辺でした。そこは『秀よし』の蔵元・鈴木酒造店の地元です。
佐竹家には4つの分家があり、本家の後継ぎが途絶えた場合には、本家に養子として入り、秋田藩を引き継ぎました。佐竹知事の出身は、そのひとつ佐竹北家です。北家は『秀よし』の蔵元にも近い、角館に城を構えていました。延享2年(1745年)、鴨猟に出た北家当主・佐竹善拠が蔵元の鈴木家に泊まったといいます。蔵元の「文庫蔵」には、佐竹氏から拝領した品々が展示され、北家と鈴木家の交流の深さを偲ばせます。
宝暦年間(1751〜1764年)のこと。藩内の酒を秋田城下に集めたコンテストが催された際、藩主が鈴木家の酒を気に入り、当時の御用酒『清正』にも勝ると評価し、以後『秀よし』と名乗るように命じました。『秀よし』は幕末の嘉永元年(1848年)には正式に秋田藩の御用酒になりました。
(写真左)蔵の正面 (写真右)鈴木松右衛門社長(19代目)
(株)鈴木酒造店 元禄2年(1689年)創業