[杜氏集団の形成]
かつて明治期までは、「酒杜氏」と「精米杜氏」に分かれ、それぞれ数名から数十名のチームを編成して仕事にあたっていましたが、水車精米の普及にしがたい「精米杜氏」たちは姿を消しました。

全国各地に存在する「杜氏」たちの故郷は、共通して、その昔はあまり豊かではない地域でした。たとえば、雪に閉ざされる山間部であったり、冬は海が荒れて漁ができない海辺の寒村であったり。

江戸中期に「寒造り令」が出され、冬場に酒造りが集中するようになると、こうした寒村に、酒造りの技術をもった季節労働者が増えていきます。

彼らは、近隣の人々を誘い、集団で蔵元に出稼ぎにいくようになり、それぞれの村ごとに酒造りの技術が伝えられるようになりました。

そうして人口わずか数千人ほどの村に、数十名、数百名の杜氏が暮らす「杜氏集団」が形成されるようになったのです。

豊かになった現在、それらの杜氏集団にも高齢化と後継者難の波が押し寄せ、すでに消滅した杜氏集団すら出てきています。

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