日本名門酒会 蔵元紹介

蔵の概要

環境

環境

運行されることになった十石船。

伏見は京都盆地の東南に位置し、東は桃山丘陵、南は宇治川が流れる風光明媚な街。桃山丘陵からの伏流水が湧き、かつては「伏水」の字が当てられたほど水の豊かなところでした。秀吉が伏見城を建設してからは華麗な桃山文化を開華させた城下町として栄え、江戸時代には京の都からの河川玄関口、伏見港として発展。明治中期から大正時代にかけては、酒造りに適した伏見の水を求めて、洛中から酒屋が移転し、また、近県からも伏見に蔵を開く動きが相まって、日本有数の酒処となりました。蔵のある「東堺町」は西の堺(大阪府)に対して、付けられた町名。精米所のある場所は、坂本竜馬が寺田屋から脱出し逃げ込んだ薩摩島津藩の屋敷跡です。近辺は最近、古い街並みが保存・整備され、十石船が疎水を往来するなど、多くの観光客を惹きつけています。


歴史

歴史

岡山県雄町にある雄町発祥の記念碑。安政6年(1859年)に岸本甚造翁が伯耆大山へ参拝した帰りに見つけた2本の穂を持ち帰り選抜を重ね、慶応2年(1866年)に《雄町》を育成した。《雄町》は現在確認されている最も古い品種で《山田錦》の祖先にもあたる。

蔵の創業は延宝元年(1673年)。初代、中屋六左衛門が紀州城下のメインストリートである寄合町で、藩主であった家康の孫・徳川光貞の免許を受け創業しました。酒銘は、代々の当主・六右衛門が紀州熊野の速玉神社に帰依しており、主神たる「イザナギノミコト、イザナミノミコトの御魂が映える」との意味を込めて命名されたと伝えられています。明治中期には、和歌山県一番の酒造家となりましたが、敗戦直前の1945年7月、米軍の空襲により酒蔵を全焼。戦後、復員した11代目宇治田福時氏が同地で再建したのち、伏見にも酒蔵を構え、1969年に現在の地にすべてを移転しました。戦後の食糧難も収まった昭和39年(1964年)に業界に先駆け今日の純米酒である「無添加清酒」を発売。以後、酒米作りにも積極的に取り組み、1980年にはすたれかけていた《備前雄町》を復興。1988年以降、「玉乃光」は純米吟醸・純米大吟醸のみに使用される銘柄となりました。


造り

造り

麹づくり

「一口含むと、蔵元の面魂が思い浮かぶようなお酒を造ろう」という古くからの教えを守って酒造り。早くから純米酒にこだわってきた蔵だけあって、「良い酒造りは良い酒米作りから、良い酒米作りは良い土づくりから」と、各地の篤農家グループとより良い酒米作りに取り組んでいます。復活させた《備前雄町》を始め、《山田錦》《祝》《美山錦》などの酒造好適米を使用。品質を安定させるために、一人の生産者が作った酒米が酒になるまでの工程が記録され、究極のトレーサビリティを確立しています。さらに自社の精米所にて精度の高い精米し、「突き破精」型の麹を手造り。仕込み水には「日本名水百選」にも選ばれている桃山丘陵を水源とする中硬水の「伏し水」をたっぷり使います。酸味と旨みのバランスの取れたキレの良い酒質、料理とともに楽しめる食中酒を目指しています。


味わい&合う料理

食

専用の "みぞれフリーザー" で「純米吟醸玉乃光 冷蔵酒」とデキャンタを約10時間ほど冷やしたあと、お酒を勢いよくデキャンタに注ぐと、写真のように透明なお酒がみぞれ酒に。このみぞれフリーザーとノウハウについて蔵元は特許出願中だとか。

天然のきれいな酸味と旨みのバランスが取れ、ふくらみがあって、切れの良い味が特徴。料理を引き立てつつ決して料理に負けない存在感がありながら決っして嫌味のない貴品すら感じさせます。

蔵元おすすめ酒に合う地元のうまいもん

京都は伝統的日本料理のメッカ。プロの料理人さんのレベル、人数は世界の各国民族料理と比較しても抜きん出ています。「京料理」の伝統の下、四季を楽しむお客様と一流の料理人さんとのお付き合いの中で玉乃光のお酒は磨かれてきました。

酒米でお付き合いのある伏見の若手農家が復活した「桃山大根」(小ぶりだが、歯ごたえが良い)を自家精米の過程で生まれる「赤糠の糠床」に漬け込んだ「玉乃光の沢庵」(所謂、古漬け)は『純米吟醸 山廃』にぴったり。

春の筍、夏の鱧、秋の松茸、冬の河豚等、典型的な京都の食材、お料理に『備前雄町100%、純米大吟醸』のきれいな酸味が良く合います。

『純米吟醸 冷蔵酒 300MLパック』を凍らせて、シャーベット状にした上で、溶かしながら飲む、「みぞれ酒」は夏の楽しみ。


周辺情報

桓武天皇柏原陵 (かんむてんのう かしわばらのみささぎ)。桓武天皇の陵墓。

伏見桃山御陵 明治天皇、昭憲皇太后の陵墓。

乃木神社 明治天皇の崩御に際しての殉死した乃木大将を祭る神社。伏見桃山御陵の南面に位置する。

御香宮神社 神功皇后を主祭神とする神社。酒どころ伏見の氏神で、伏見の七名水の一つ清泉「石井の御香水」が湧き、境内には伏見酒の全銘柄の酒樽が積まれている。国の重要文化財指定の慶長十年(1605年)建造の本殿を始め、華麗な桃山文化の名残をとどめている。

寺田屋 坂本龍馬の定宿で、文久2年(1862年)に倒幕急進派が決起を企てた、いわゆる寺田屋騒動が起きた宿。現在も営業中。

石峰寺 異色の画家・伊藤若冲が晩年に草庵を結んだ禅寺。若冲の墓と筆塚がある。10余年の歳月を費やして作った五百羅漢も見物。

伏見十石船 江戸時代に京阪を結ぶ淀川水運の拠点、京の南玄関口として栄えた伏見。そこに運行していた十石船を復活運行。酒蔵が建ち並ぶ伏見の美しい水辺の風景を楽しめる。

伏見稲荷大社 全国約4万社の稲荷神社の総本宮で、稲荷山の麓から山上まで無数に並ぶ朱の千本鳥居で有名。

伏見観光連携協議会

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