
つかさぼたん じゅんまいげんしゅ
司牡丹 純米原酒
[高知県佐川町]
〜 一升飲んでから
口中にほのかな甘味を生じ 〜
坂本龍馬
山内一豊の筆頭家老のお抱え酒屋として創業、『竜馬がゆく』に描かれた『司牡丹』
関ヶ原で功績を挙げた山内一豊が土佐(現在の高知県)24万石に封じられた慶長8年(1603年)、土佐佐川郷1万石を与えられたのが筆頭家老・深尾重良でした。そのお抱え酒屋として数軒の造り酒屋が佐川に蔵を構えました。後に『司牡丹』の蔵元となる竹村家もそのひとつでした。大正7年(1918年)、4軒残っていた佐川の蔵元が統合して誕生したのが、現在の司牡丹酒造の前身・佐川醸造です。
蔵元の竹村家には、天保2年(1831年)、先祖・黒金屋弥三右衛門が高知城下の蔵元・才谷屋助十郎から酒造株(酒造量の権利)を買ったという書状が残っています。この才谷屋とは幕末のヒーロー・坂本龍馬の本家です。また、竹村家と坂本家の家系図からは、両家の間で姻戚関係が繰り返されたことが窺えます。
文豪・司馬遼太郎は、名作『竜馬がゆく』のなかに、『司牡丹』を登場させて、以下のように表現しています。「酒は土佐の佐川郷で吟醸される司牡丹である。土佐人好みの辛口で、一升半のんでから口中にやっとほのかな甘味を生じ、いよいよ盃がすすむ」と、飲み飽きしない『司牡丹』の酒質を端的に記しています。
佐川醸造設立から5代目をかぞえる蔵元・竹村昭彦氏によると、龍馬の時代には『司牡丹』の酒名はなく、また司馬遼太郎は酒が飲めなかったともいいます。司馬遼太郎は、執筆の取材で、高知を代表する辛口が『司牡丹』であることを人づてに聞いたのでしょう。
(写真左)蔵正面の酒林 (写真右)竹村昭彦社長(5代目)
司牡丹酒造(株) 慶長8年(1603年)創業