
ばんだい じゅんまいしゅ
萬代 純米酒
[福岡県宇美町]
〜 酒どころ・福岡の誇り 〜
古の風情が残る蔵
西南戦争後に福岡の酒の酒質向上を牽引、全国に名を轟かせた『萬代』
本格焼酎のイメージが強い九州の酒文化は、本来、南半分が本格焼酎圏、北半分が日本酒圏です。
明治10年(1877年)に起きた西南戦争では、政府軍は熊本城に拠点を置き、西郷隆盛率いる反乱軍と対峙しました。各地から集結した政府軍で溢れた熊本では、日本酒の消費量が急増しましたが、熊本では伝統の赤酒が主流だったため、隣接する福岡の酒が熊本に持ち込まれました。日本酒の出荷量が急増した福岡では海運に便利な筑後川流域で酒造りが盛んになりました。
しかし、戦争終結後、福岡の酒は行き場を失うことになりました。その危機に立ち上がったのが、寛政4年(1792年)創業、宇美町の銘酒『萬代』を醸す栄屋6代目の小林作五郎でした。
作五郎は、日照りの年には水不足になる地元の稲作を守るために、自家田を潰して溜め池をつくるなどした人物です。作五郎は、2人の蔵人とともに県の役人に紛れて関西視察に同行し、酒造りの先進地であった兵庫県の灘(現在の神戸市、西宮市)や伊丹の銘醸蔵を見て回りました。作五郎たちが持ち帰った情報によって、たちまちレベルアップした福岡県の酒は、明治30年(1897年)には兵庫県に次ぐ、全国二番目の出荷量を記録するに至りました。
戦後の高度成長期の頃には、"名酒『萬代』を仕入れるために、地元の問屋は大振りな鯛を携えて行った"、という伝説的な逸話すら残るほどの銘醸蔵になりました。
(写真左)蔵の正面 (写真右)石藏利輔杜氏
(株)小林酒造本店 寛政4年(1792年)創業