
かいか じゅんまいしゅ
開花 純米酒
[栃木県佐野市]
〜 華やぐ豪農蔵の名残り 〜
三代歌川広重の開化絵
米づくりと酒造りが表裏一体となった豪農の面影を残す『開華』
日本では室町時代の中頃から江戸時代の終わり頃までにあたる14世紀半ばから19世紀半ばにかけて、「小氷期」と呼ばれる寒冷な気候の時代が続きました。北半球の各地で飢餓や疫病が流行し、それが原因で戦争も多くなりました。有名な「応仁の乱」が起き、それが戦国時代の呼び水になったという指摘もあります。
江戸時代になっても米の凶作による全国的な大飢饉は4回も起きています。徳川幕府は、経済政策と食糧政策を兼ねて、豪農や豪商に副業として酒造りを奨励する一方、米の収穫量の目途が立つ秋以降を酒造期と定めた「寒造り令」を出しました。
日本人の主食であり、貨幣と同じ価値を持っていた米が不作になれば、米価が高騰して庶民は食糧難となり、米が収入源だった武士階級も困窮することになります。一方、大豊作になると米価が暴落して、農民も武士も収入が減ることになります。そこで、米の相場の安定化を図るために、素封家に対して副業としての酒造りを奨励したわけです。副業である以上、不作の年には酒造りを制限し、豊作の年には好きなだけ酒を造らせても問題がないというわけです。このような政策は明治政府も継承したと言われています。
栃木県佐野市の郊外に蔵を構える『開華』の蔵元の長屋門は、かつての名主の佇まいを今に留めています。現在でも国が認めた食糧集荷業者として、近隣の農家が収穫した米を集荷し、農産物検査法に基づいた等級検査も行っています。
(写真左)蔵の正面 (写真右)島田嘉紀社長(12代目)
第一酒造(株) 延宝元年(1673年)創業