
まなつる じゅんまいげんしゅ
真鶴 純米原酒
[宮城県加美市]
〜 みちのくの豪商藏の佇まい 〜
風情ある冬の蔵
奥羽山脈からの水が潤す大穀倉地帯で、伊達藩屈指の豪商であった『真鶴』
宮城県の北西部、東北地方屈指の穀倉地帯・大崎平野の西端の街・加美町は、《ササニシキ》や《ひとめぼれ》が生まれた旧・古河市(現・大崎市)に隣接する町です。奥羽山脈から流れ出る鳴瀬川が潤す肥沃な水田から生産される良質米と豊かな水、東北の内陸部特有の寒冷な気候。さらに、藩政時代には仙台藩初代藩主・伊達政宗が酒造業を奨励したこともあって、酒造りが盛んになりました。
『真鶴』の蔵元は、加美町の古い町並みの一角に、ひと際重厚な商家づくりの佇まいを見せます。藩政時代、京、大坂の武士から払い下げられた着物を仕入れて販売する呉服商として財を成した初代・田中新八郎は、寛政元年(1789年)、副業として酒造業を始めました。その後、醤油醸造、質屋、両替商など事業の多角化を図り、伊達藩屈指の豪商となりました。
当時、加美町の前身である中新田を領していた伊達藩士・只野行義の妻・真葛は、江戸でも名医といわれた父・工藤周庵のもとで育った女流文学者で、女流国文学者でもあり、田中家に『真鶴』の酒名を与えました。
時は流れ、戦時下の物資統制令時代に、酒造業に専念するようになった創業家の田中家は後継者がなかったために、現在ではオーナーが変わりましたが、14代目となる永井邦彦社長のもと、一升盛りの手造り麹、山廃酛や生酛など伝統的なスタイルの酒造りを守りつつも、近年では様々な新しいタイプの日本酒にもチャレンジして海外にも進出しています。
(写真左)蔵の正面 (写真右)永井邦彦社長(14代目)
(株)田中酒造店 寛政元年(1789年)創業