日本名門酒会 蔵元紹介

蔵の概要

環境

環境

復元された首里城正殿。世界遺産にも登録された首里城は沖縄戦で焼失したが一部が復元され、現在「首里城公園」として整備されている。

南海に浮かぶ沖縄はかつて琉球王国として中継貿易で栄え、独自の文化を築き上げてきました。その玉座があった首里城から徒歩8分のお膝元に瑞泉蔵元はあります。琉球王朝時代、泡盛古酒は貴重な酒として琉球王府の管理下におかれ、限られた役職だけに製造を許し、首里の城下町、崎山・赤田・鳥堀の三箇のみで醸造されていました。17世紀、新井白石が著書『南島志』の中で「密封七年にしてこれを用ふ。首里醸すところのものを最上品とす」と記したように、首里の泡盛は銘酒として大切にされ、宮中行事で、あるいは献上品として珍重されてきました。蔵元は琉球王朝時代の「焼酎職」を始祖に持ち、首里三箇の崎山で伝統を継ぎながら泡盛を造り続けています。


歴史

歴史

南風原町の貯蔵庫。300石タンク40本を備え、県下随一の貯蔵量を誇る。

蔵の創業は明治20年(1887年)。首里三箇の焼酎職の三男として生まれた喜屋武幸永氏が分家して創業したのが始まりです。戦火が烈しくなった昭和19年(1944年)には休業状態に、終戦の年には壊滅的な打撃を受けました。終戦後、アメリカ占領下で泡盛製造は官営となりましたが、昭和24年(1949年)に民間に移営されると蔵元も再建に着手、2年半後に製造を再開しました。昭和46年(1971年)、瑞泉酒造株式会社に組織変更。昭和51年(1976年)には南風原(はえばる)町に大量の泡盛をまろやかな古酒として熟成させるべく貯蔵庫を建設し、その味わいを高めていきました。昭和50年代からは海外にも輸出されるようになり、の受賞を皮切りに、今日に至るまで国内外の酒類コンクールで高い評価を受けています(*1)。酒銘はかつて首里城内の第二門に登る石段途中にあった、こんこんと清水が湧き出る「瑞泉」に由来します。

*1:全国調味食品品評会においてダイヤモンド賞受賞、全国酒類調味食品品評会において金賞、モンドセレクションにおいて金賞、イギリス国際ワイン&スピリッツコンペティションにて銀賞、第一回ドイツインターナショナルスピリッツアワードにて金賞、全国酒類コンクールにおいてグランプリ・第一位受賞、泡盛鑑評会県知事賞12回など多数受賞。


造り

造り

甕貯蔵の蔵。貴重な甕貯蔵17年古酒「竜鳳」はとろけるような味わい。

蒸留酒である泡盛は熟成することでまろみを帯び風味を増し、昔から貴重な味わいとされてきました。その琉球王朝以来の古酒へのこだわりを受け継ぎ、蔵元では酒造場とは別に300石タンク40本を備える巨大な貯蔵庫を設けています。3年以上熟成させたものが古酒と呼ばれますが、瑞泉蔵元ではそのハードルを高くし、7年以上熟成させ味わい深く仕上げたものを古酒として出荷。甕貯蔵、樽貯蔵、タンク貯蔵、伝統の「仕次ぎ」(*2)で熟成させたもの等、古酒の様々な魅力を伝えています。1999年には、沖縄地上戦で壊滅したとされた戦前に瑞泉で使用されていた黒麹菌が奇跡的に見つかり、これを用いた泡盛「御酒(うさき)」を発売。2007年には日本酒のように原料であるタイ米を70%精米して仕込んだ瑞泉「吟」、泡盛・南高梅・沖縄黒糖を使用した瑞泉「梅酒」を生み出すなど、昔ながらの古酒つくりの伝統を守り続けながら、最新の設備を備えた蔵で、泡盛の新しい魅力を伝える多彩な商品造りにも挑戦し続けています。

*2 仕次ぎ:シェリー酒のように、年代の1番古い甕から汲み出したら2番目に古い甕から補充し、その甕には3番目に古い甕から注ぎ足す、という琉球王朝時代から続く伝統の貯蔵法。


味わい&合う料理

食

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古酒として出荷されるのは7年以上の熟成を経たものだけ、と古酒にこだわりを持つ蔵で、貴重な甕貯蔵古酒を始め、年数・貯蔵法・ブレンドなどで異なる、様々な風味の古酒を生み出しています。また新酒においても昔ながらのコクのあるタイプから、キレと膨らみのあるタイプ、楽に飲める15度など、多彩な品を揃えています。

蔵元おすすめ酒に合う地元のうまいもん

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