日本名門酒会 蔵元紹介

蔵の概要

環境

環境

伊賀青山に広がる田園風景。緑深き青山高原からの清涼な水と、昼暑く夜は涼しい盆地ならではの気候、アキアカネも飛び交う清らかな風土が、良質の米を育みます。

笠置、布引、鈴鹿の山々に囲まれた伊賀盆地は、伊賀忍者の里として知られています。伊賀上野城の城下町では今でも細く入り組んだ街並みがその姿を残し、また、吉田兼好が徒然草を記し、俳聖松尾芭蕉生誕の地でもあり、山間の盆地ながら隣接する奈良・京都からの文化的影響を受け、古くから交通の要衝として栄えました。蔵元のある阿保地区もかつて大和国と伊勢国をつなぐ「初瀬街道」の宿場町として、大阪を始め西国方面からのお伊勢参りの旅人で賑わった地。かつてはこの一帯だけでも7軒の造り酒屋があり、そこで造られたお酒が地場消費されていたといいます。盆地だけあって昼夜・夏冬の寒暖差が激しく、四方の山々からは清々しく豊かな水が湧き出で、良質米の産地でもあるなど、酒造りの条件が揃っています。


歴史

歴史

その昔、お伊勢参りの人々で賑わった初瀬街道沿いに立つ常夜灯。

蔵の創業は嘉永6年(1853年)。黒船が浦賀に来航したこの年、7代目・義左衛門が藤堂藩より酒造りの印札を受け、酒造業を開始。それまで蔵元の重藤家はお伊勢参りの初瀬街道沿いにあった現在の地で「たわらや」という旅館を営んでいましたが、筋向かいにある造り酒屋「蛭子屋」から、ある日「居抜きのままで商売を取り替えてはくれないか」と懇望され、これを受けて酒造りの第一歩を踏み出しました。「若戎」という酒銘は、一つには蛭子屋の経営者が変わり若いエビスになったこと、二つには、新年に若者が戎の面を被り福徳開運・商売繁盛・家内安全を祈り、若水の福茶を飲み酒を酌みかわす「初戎」という風習がこの地方にあったこと、また、伊賀出身の松尾芭蕉が詠んだ句「年はみな人にとらせていつも若戎」にちなみ、名付けられました。12代目・久一氏は地元伊賀で《山田錦》を育てようと農家に働きかけ、昭和61年(1986年)に20年ぶりに三重県での《山田錦》の栽培を復活させた立役者です。


造り

造り

盆地特有の底冷えのする冬の朝の作業風景

仕込み水には関西の軽井沢と呼ばれる標高800mの青山高原から流れる軟水の伏流水を使用。原料米は、優良米の産地である地元伊賀の専属農家と契約して栽培された良質の《三重山田錦》《ヤマヒカリ》などを使い、これらを平均精米歩合58%まで磨きます。特徴的なのは中村貢杜氏が確立した酵母使い。何十種類もの酵母を駆使し、その酵母の特徴を最大限に発揮させます。たとえば「義左衛門」はひと造りにタンク30本ほどを仕込みますが、十数種類の酵母を使い、ぜんぶ搾り終えたところで全体をひとまとめにして「義左衛門」を造り上げます。平成8年度(1996年度)より、すべて本醸造以上の特定名称酒だけを醸す蔵となり、そのうちの8割が純米酒。原料米から出荷まで、誤魔化すことなく真剣に取り組み、品質を追求し続けています。


味わい&合う料理

食

タケノコの天ぷら

きめ細やかで優美な味わいの中に、米の旨みがふくらみます。育モト(山廃)系のお酒はまろやかでコクのある深い味わいで、燗にしても美味。

蔵元おすすめ酒に合う地元のうまいもん

山菜の天ぷら

鮎の塩焼き

キノコたっぷりクリームパスタ

伊賀豚のしゃぶしゃぶ


周辺情報

青山高原 大パノラマが広がる標高756mの高原。爽快なドライブが楽しめます。周囲には高原型リゾート施設も。

伊賀上野城 白鳳城とも呼ばれ、戦国武将・藤堂高虎による深い堀と高石垣で名高い(高さ約30m)。天守閣は竣工間近に嵐により倒壊、以来、江戸期を通じて放置され、昭和10年に再建されました。コンクリートではなく木造瓦葺き・白壁の塗込めで再建された城は、影武者の撮影現場にも。

伊賀忍者屋敷 伊賀といえば伊賀忍者の里。伊賀流忍者博物館にある忍者屋敷では数々のしかけをくノ一が実演案内。大人も子供も楽しめます。ニンニン!

赤目四十八滝 室生赤目青山国定公園にある、約4kmにわたって数々の美しい瀑布が連なる渓谷。日本の滝百選、森林浴の森百選、遊歩百選に選ばれています。

もくもく手作りファーム 公園・宿泊施設などが整備され、滞在しながら手作り体験や食農体験ができる観光農場として人気スポットに。併設のレストランやバーベキュー施設では自家製のハム・ソーセージ、地ビール、野菜などを楽しめます。温泉もあり。

メナード青山リゾート 青山高原にある広大なスパ・リゾート。お肌ツルツル温泉や、300種のハーブが植えられたハーブガーデンも人気。

「忍びの国 伊賀を発見」伊賀上野観光協会

「観光三重」三重県観光連盟