日本名門酒会 蔵元紹介

蔵の概要

環境

環境

蔵近くの海岸。

九州の北東部、瀬戸内海と豊後水道の境に付きだした国東半島の東端、海岸から500mのところに蔵は建ちます。国東という地名は景行天皇の「あれに見ゆるは国の崎か……」が由来とされ、歴史の古い土地柄。奈良・平安時代には「六郷満山」と呼ばれる神仏習合の山岳仏教が花開き、今もその遺跡が半島の至るところに散在することから「み仏の里」とも呼ばれています。瀬戸内海気候に属しますが、関門海峡から流れ込む日本海側の気流により、冬場は冷え込みが厳しく雪も多いところです。半島中央の両子山を始めとする山々からの山の幸はもちろん、沖合の海は関アジ、関サバ、城下ガレイなどブランド魚の宝庫で、港にあがるこうした鮮魚が、西の関の味わいを鍛えてきました。


歴史

歴史

明治40年に開催された第一回全国清酒品評会一等銀牌の賞状

蔵元の萱島家は江戸期には庄屋を務める家柄でしたが、明治6年(1873年)に初代・荒吉氏が創業。明治20年代に2代目・米三郎氏が「西日本の誇り足るべき抱負と研鑽」を象徴して「西の関」と命名しました。明治40年(1907年)開催の第1回全国清酒品評会で1位になるなど、創業当時から品質重視の姿勢を貫き、昭和38年(1963年)には、それまでに市販されたことのなかった品評会出品用の吟醸酒を、門外不出の意味を込め「秘蔵酒」と名付け、全国に先駆けて発売。昭和48年(1973年)にはドイツの銘醸「シュロスフォルラーツ」のオーナー、マツシュカ伯爵の長寿を祝う「世界の大きき酒会」に日本の代表として参加。昭和52年には「ほんものの日本酒選び」で西の横綱に選ばれています。


造り

造り

酒造蔵での仕込み

標高721mの両子山、616mの文殊山の中央山岳地帯で伏流水となった水を3本の井戸から汲み上げて仕込水に使用しています。水質は軽やかで優しく甘みのあるやや軟水。原料米は地元大分産の《ヒノヒカリ》ほか、福岡産《山田錦》、広島産《八反錦》、兵庫産《山田錦》などを使用。蔵内平均精米歩合は64%となっています。「国東の味覚に合う、軽くて旨い酒」を目指し、新商品を作るエネルギーをレギュラー酒の品質向上に向けたいと、商品数を限定し、一つ一つに全力を傾注。その結果、出荷数の約7割が大分県内で消費されるなど、地元での厚い指示を得ています。昔ながらの手造りにこだわり、伝統手造り手法の発展的継承の中で清酒本来の旨さを伝えています。


味わい&合う料理

食

国東半島の豊かな自然に育まれた山海の幸。天然の素材そのものの美味しさを楽しめる。

ほのかに甘さを感じさせる落ちついた香り、スケールの大きな酸味と甘味のバランスは充分な旨味をともない、まろやかに練れた味わいです。冷やはもちろん、お燗にして本領を発揮します。

蔵元おすすめ酒に合う地元のうまいもん

国東半島の前方に洋々と拡がる海は、全国でもトップクラスの良質の漁場。ここで獲れる太刀魚、たこ、カレイ、ふぐの味は絶品です。また、山間部で収穫される椎茸も最高品質。天然の素材を活かした山海の料理を楽しめます。


周辺情報

宇佐神宮 725年に創建され、伊勢神宮に次いで朝廷の崇敬を受けた屈指の名社。全国4万超の八幡神社の総社。最奥にある上宮本殿は1861年に再建された国宝。参道脇の宝物館にも重要文化財指定の銅鏡や神輿が。

両子寺(ふたごじ) 養老2年(718年)に仁聞菩薩が開き、「六郷満山」の総持院として栄えた古刹。苔むした石造りの仁王像が迎える山門など。

富貴寺 養老2年(718)に仁聞が開基したと伝えられる。日本三大阿弥陀堂の一つ、富貴寺大堂は12世紀後半に創建された九州最古の木造建築物で、国宝。

熊野磨崖仏 国東六郷満山の拠点の一つである胎蔵寺から山道を登り、鬼が一夜で築いたと伝えられる乱積の石段を上ると、岩肌に彫られた高さ8mの不動明王像と高さ6.7mの大日如来像が。制作年は奈良〜鎌倉時代。いずれも国重文と国史跡の二重指定を受けている。

三浦梅園資料館 豊後聖人とも呼ばれる江戸時代の思想家、三浦梅園の遺稿を展示した資料館。

ペトロカスイ岐部記念公園 17世紀にローマへの途上、日本人として初めて聖地エルサレムを訪問し、日本に戻って殉教したイエズス会司祭、ペトロ・カスイ・岐部を記念した公園。

国東市|観光情報

「くにさき」国東市観光協会

「日本一のおんせん県おおいた」大分県観光情報公式サイト